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商品詳細☆作品について
前回出品した際、コメントを頂きました。この作品は中山先生が戦争時にシベリア駐留の際の思い出を描いた作品では?っとおっしゃってくださいました。
確かに人が銃で撃たれて、弾は秤の様な表現の様な、気がいたします。
画材は板に石灰?の様な材で油彩で描いてある感じです。
☆作品に新たに助言を頂きました。遠山巍画伯の作品かもしれません、現在調査中です。
☆やっと作品に合う額縁に新調致しました。
★剥がれが1箇所小さいですがございます。
☆東京文化財研究所 東文研アーカイブデータベースより
☆中山巍
没年月日:1978/05/19
分野:洋, 画家 (洋)
読み:ナカヤマ, タカシ*、 Nakayama, Takashi*
独立美術協会会員の洋画家、中山巍は、5月19日午前5時55分、老衰のため東京都武蔵野市の自宅で死去した。享年84。中山巍は明治26年(1893)に岡山市長中山寛の4男として生まれ、中学時代から水彩画に親しみ、大下藤次郎の水彩画講習会に通い、大阪、ついで東京に出て葵橋洋画研究所に入り、大正3~9年東京美術学校西洋画科に学び、藤島武二に師事した。大正11年(1922)東京美術学校研究科を修了してフランスに留学、昭和3年(1928)まで滞欧した。その間、里見勝蔵の紹介でヴラマンクを知り師事、里見、前田寛治、宮坂勝、小島善太郎、佐伯祐三、中野和高、高畠達四郎、福沢一郎、音楽家の林竜作らと盛んに交遊した。大正13年(1924)にはシャガール、ザッキン、昭和3年(1928)には福島繁太郎の紹介で詩人のアンドレ・サルモンや画商のズボロフスキーらと知り合い交友、エコール・ド・パリ時代後期のパリ画壇で過し、1928年ズボロフスキ画廊で開いた個展をアンドレ・サルモンは高く評価した。昭和3年(1928)帰国後は有島生馬のすすめで第9回二科展に滞欧作を特別陳列、またパリ時代の友人達による1930年協会展にも参加したが、昭和5年(1930)独立美術協会創立に参加し、以後、同会の中心的会員のひとりとして活躍した。戦後、昭和33年、脳出血のために倒れ、以後左半身不随となり療養につとめながらも製作をつづけ、昭和44年からは第三文明展にも出品、同47年には大石寺正本堂の壁画を製作した。没後、創価文化功労賞をうけ、勲四等旭日章を叙勲した。商品の情報
| 商品の状態 | やや傷や汚れあり |
|---|---|
| カラー | ブラウン系/オレンジ系/イエロー系 |








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